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多摩の新選組・近藤勇①

近藤勇

1969年9月21日、流山・長岡屋=秋元さんから戴いたもの。

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宮川家跡 近藤勇生家跡

古写真で見る生家は見事な家である。宮川家は勇の次兄・粂次郎氏の血統が本家を継いで現代に至っている。近藤勇の娘瓊子の婿・勇五郎は、道一つ隔てて勇の家系を継いで家を持ち、勇の妻つねと共に住み、撥雲館道場を座敷の横手に拵え、天然理心流を教えていたという。

撥雲館=道場(左手前に生家跡の祠=近藤神社

割れた窓硝子から覗くと蜘蛛の巣、埃を被った武具が吊るされていた。昔、撃剣の道場と訊けば、すぐに判ったと伝えられている。

勇の父、宮川久次郎が屋敷内に寺子屋と共に天然理心流の道場を建て、小技より気迫を重じる実践を大事にする武道を近在の子弟に指導したという。江戸に囲まえる天然理心流宗家近藤周助は、月に二、三度多摩に出稽古にきていたが、勇の度胸と技量に惚れ十六歳の時養子縁組、二十八歳で勇が四代目を継いだ。この撥雲館は勇の娘瓊子と結婚した勇五郎が建てたという。道場名は山岡鉄舟が命名したと伝わっているという。多摩一円の門人三千人を指導したという。

近藤勇五郎宅跡と撥雲館道場

近藤家には勇の刀架が素朴な造りだが残っているという。他に鉄砲の弾丸入れ、天然理心流の免状の二巻・三巻があるという。刀架の抽斗には刀を磨く打粉などが入れられるようになっているという。

宮川家模型=調布市郷土資料館

近藤勇の生家跡

現在の調布市野水である上石原村宮川久次郎の三男(往時四男)に生まれた。長兄音次郎、次兄粂蔵、姉リセ、そして勝五郎(勇実の幼名)妹タカとスメ。嘉永元年十一月十一日(1848.12.6)天然理心流三代目近藤周助の門を叩いた。嘉永二年十月十九日(1849.12.3)牛込甲良屋敷地面内・近藤周助の養子になる。ただし、安政五年(1858)秋、日野の八坂神社に奉納した天然理心流の献額には近藤勇と認められていない。近藤は島崎勇藤原義武とあり、沖田は惣次郎藤原春政になっている。勇実は勝五郎から勝太と改称し、さらに勇となった。

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