しょうへい– Author –
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新選組(壱)
新選組のふるさと日野
【八坂神社】 安政五年(1858年)秋に奉納された「奉献」額は当社、神社の扇上にあったと伝わるが、現在は改築された神殿に納められているという。 木刀=本が飾られ、天然理心流 近藤周助藤原邦武 とあって、井上松五郎 佐藤彦五郎 とつづき 中程右寄... -
新選組(壱)
多摩の新選組・井上源三郎
【井上源三郎生家 井上記念館】 井上源三郎生家に建つ井上記念館 蔵の奥に写るのが現在の生家、左手は井上荘である。 【宝泉寺=井上源三郎の墓・碑】 宝泉寺はは天正年間に兵火にあい、現在の地に移されたと伝っている。大奥の絵島生島事件に関係し、後... -
新選組(壱)
多摩の新選組・沖田総司
【沖田総司】 新撰組隊士の中で女性に最も人気のある一人である。司馬遼太郎の新選組血風録、燃えよ剣等の功である。淡い恋、労咳剣士等々が心を惹くのであろう。また、ミステリアな面もあるだろう。 天保十五年(1844年)江戸・白河藩阿部播磨守の下屋敷... -
新選組(壱)
多摩の新選組・土方歳三②
【石田寺(土方歳三の碑と墓)】 30数年振りに訪れた石田村はすっかり変貌し長閑な風情は消え失せていた。境内もうっそうと茂っていた巨木も殆んどなくなっていた。 -◇- 本堂も改築されたようだ。ただ住宅... -
新選組(壱)
多摩の新選組・土方歳三①
【土方家・土方歳三家系図】 私が訪れた時(1969.4.20)の記念帳から当時、お大尽と呼ばれていた土方家は蔵が三つもあったという。玄関前の左側の庭先に歳三が旗本屋敷をまねて竹を植えたといわれ、今も残っていた。 丁度来客があったが、土方康さんがおら... -
新選組(壱)
多摩の新選組・近藤勇②
【近藤勇神社と祠〈生家跡に建つ〉】 2004年6月1日撮影 【近藤勇生家跡遠望】 龍源寺門前から前方の林辺りが近藤勇生家跡及び撥雲館道場跡を望む。 【近藤勇の手紙見つかる】 【龍源寺=近藤勇墓所】 1969年4月20日撮影 上中2004年6月1日撮影 下 訪れた... -
新選組(壱)
多摩の新選組・近藤勇①
1969年9月21日、流山・長岡屋=秋元さんから戴いたもの。 【宮川家跡 近藤勇生家跡】 古写真で見る生家は見事な家である。宮川家は勇の次兄・粂次郎氏の血統が本家を継いで現代に至っている。近藤勇の娘瓊子の婿・勇五郎は、道一つ隔てて勇の家系を継いで... -
新選組(壱)
幕末
新選組は会津藩とのかかわりがとても深い。会津戊辰戦争に於ける新選組、函館戦争に於ける新選組はこの新選組(壱)(弐)(参)(四)(五)からは省略する。 1853年(嘉永六年)夏、ペルー率いる米国の艦隊(いわゆる黒船)が浦賀に現れ、二百数十年来の... -
新選組(壱)
はじめに
私が「新選組」に興味を持ち惹かれはじめたのは、19668年の秋ごろであった。幼き頃、いわゆるチャンバラが好きで、源義家を祭る鎮守神社が村内にあり、樹年古い大巨木の杉の木が多く林立し長い急な石段が続いた神社で、雷による空洞となった杉の木もあった...
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