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多摩の新選組・井上源三郎

宝泉寺=井上源三郎の墓・碑
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井上源三郎生家 井上記念館

井上源三郎生家に建つ井上記念館

蔵の奥に写るのが現在の生家、左手は井上荘である。

宝泉寺=井上源三郎の墓・碑

宝泉寺はは天正年間に兵火にあい、現在の地に移されたと伝っている。大奥の絵島生島事件に関係し、後にこの寺の境内で切腹したという金丸四郎兵衛の墓もあるという。
                         -◇-
新選組結成当時、副長助勤となり、最大規模時は六番隊組長を務めている。
浪士組として上洛する時は、近藤らと違う浪士組三番隊に編入されている。近藤勇が試衛館道場あげて浪士組に参加する旨、佐藤彦五郎の道場へ話を伝えている。これを聞いた日野道場の者も参加を希望する者が現れ、沖田総司の姉のぶの夫、沖田林太郎、井上源三郎らも参加する旨、近藤に伝えてきたが、前記のように浪士組編成時は近藤らと違う三番隊となっている。源三郎の兄、松五郎は八王子千人同心として、同じ時期京にのぼっている。

新選組副長助勤・井上源三郎之碑 宝泉寺

↑ 左側に建つ墓誌

↑ 左から四番目に井上源三郎の名

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