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石田寺(土方歳三の碑と墓)
30数年振りに訪れた石田村はすっかり変貌し長閑な風情は消え失せていた。境内もうっそうと茂っていた巨木も殆んどなくなっていた。
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本堂も改築されたようだ。ただ住宅に囲まれた寺だが静かさは佇っていた。
右側が土方歳三の墓
1969年4月20日に初めて訪ねた時の墓は今回新しくなっていた。(幕末関東編参照)
以前は前項の資料の通り三名が刻まれていた。が左側に二名がある。
案内板
新選組副長として近藤勇と共に活躍したが、函館戦争で明治二年五月十一日松前表街道一本木関門において馬上指揮中に銃弾をうけて戦死。時に三十五歳、近藤の死後一年であった。
真中に刻まれている歳進殿誠山義豊大居士が土方歳三の戒名である。
私が訪れた時は、浅川が近く人流れ田園の中にあった。写真の左にある大きな木があり、一人の影もなく静かな寺であった。この境内で幼い頃チャンバラでもして遊んだのだろうか、そんな雰囲気を醸し出している境内であった。
土方歳三の兄・為次郎らの墓碑
判読は難しい程風化してしまった。
とうかん森
当時、木々が茂りうっそうとした少し高い台地であったという。童の頃土方歳三らの遊び場であったという。巨木が年輪を感じさせる。
位牌の写真は新選組とは関係なく、土方歳三の位牌の並びに在るものである。
岡野は大奥総取締として権勢を奮ったが政争にまき込まれ殿中において刺殺された。岡野の生家・上田平家は当山の檀家総代の家柄である。
土方歳三生家
燃えよ剣の中に書かれてあるように、木々が陰をつくり、小さな川というか用水路が澄んだ水を流し、その道の反対側にに土方家が在った。武蔵野風景はしっかり残っており静寂な村並みであった。
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